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グラウンド整備を終えての6回表
投球練習を終えた浩臣は、例によってまた竜也を手招きで呼んでいる

ん?という感じで竜也が寄って行くと、浩臣はグラブで口を隠しつつ「3打席連続敬遠とか松井級じゃねーか」と茶化している

“ん-、あい”(はなわism)とモノマネを披露して竜也は守備位置に戻ると同時、浩臣は何事もなかったように真剣な眼差し

この回の守備から天満に代えて安理を入れセンター、レフトに和屋を回すいつもの布陣
奇策は不発に終わったが、ここからやり直そうということなのだろう
泣いても笑ってもあと4イニング

恒星は脇谷に代えて、代打・陳柏融を送って来た
台湾の至宝という肩書を持った、リトルリーグでもろくに打てないという評判のスーパースター
左打席の陳が放ったのは、ごくごく平凡なセカンドゴロ

はい、ワンアウトという感じで竜也がそのゴロを取ろうとした時、一瞬芝と土の境目に足を取られてちょっと出遅れてしまう
まさにTranquilo.という感じで慌てて向かうが、ボールが手につかずにスコアボードに“E"のランプ

伊藤くん、ゴメンと右手で謝罪の意を示しながらボールを渡していると、恒星ベンチが動いた

『1塁ランナー陳柏融くんに代わりまして、鈴木くん』

それを聞いて竜也は思わずうわっという表情を浮かべる
代走の切り札として悪名高く、強肩で売る千原ですらフリーパスと弄ばれている存在

無駄にヘルメットを取り、恒星側スタンドの声援を煽るような態度を取っている鈴木を見て、浩臣は竜也をまた呼び寄せている

「竜の失敗は俺が取り返してやるからな」

試合再開で、とんでもなくリードを大きく取る鈴木に対して浩臣は無警戒を装っている
それで増長した鈴木はますますそれを拡げようとした矢先だった

一瞬の牽制球で、ホワスト樋口ですらよく取ったレベルの素早い球が送られて鈴木は慌てて戻るも誰が見ても余裕たっぷりのアウト
VAR判定? リクエスト? そんなもの、ないよ

ドヤ顔でグローブを浩臣が向けてきたので、竜也も拳王ポーズでそれに応える
気勢を削がれたのか、坂本はあっけなく三振。セザルに当たっていない死球(派手なアピールに審判が騙された)こそ与えたが、具聖燁をどん詰まりのホワストファウルフライに切って取って浩臣は雄叫びを上げた

「さて、そろそろ点取ろうぜ」
千原の檄が飛ばすと同時、恒星側ベンチからも例によって怒声罵声が飛んでいる
球審が思わず「アーイ」と注意に赴くそれで、盛り上がりかけた西陵ベンチは気勢を削がれている

浩臣は苦笑しつつ、「西陵でよかったわ。あんな監督の下で野球やりたくねえ」と恒星ベンチを見て揶揄っている
竜也もそれにすぐ同調して頷きつつ、「坂本と一緒のチームなんて絶対無理だ」と続けて

6回裏
先頭の樋口はいい感じに捉えたセンターへの大飛球
いかんせん球場が広すぎた上に、ちょっと上がりすぎた

「惜しかったな」
樋口をそう労いつつ、浩臣は静かに打席へ向かっている
いつも以上に研ぎ澄まされた何かを感じ、竜也はこれは伊藤くん絶対打つだろと思わず呟くそれ

初球の“真っスラ”を完璧に捉え、会心の一打はライト前に弾んでいる
一塁ベースの上で思わず浩臣が舌を出しているのを見て、角度をつけるのミスったんだなと竜也は感じていた。長打コースだったのに、というところの表情なんだろうと

続く和屋の辺りはぼてぼてのセカンドゴロだったが、浩臣がいいスタートを切っていた
セカンドのセザルが坂本にトスをするが、判定はセーフでフィルダースチョイスでチャンス拡大

意気上がる西陵ベンチだったが、続く万田の放ったヒット性の当たりは坂本が好捕
2塁封殺で2死1、3塁となり先程の守備から打席に入っている安理に回って来る
道予選0安打の安理だけに、自信なさげに打席に入ってあからさまに四球乞食を狙いに行っている
中島卓也ばりのカット打法で粘りを見せたが、最後はど真ん中のカーブを見送り三振
思わず天を仰ぎながらベンチに戻る安理に対し、渡島が「落ち込んでる暇はないぞ。次に繋げろ」と声をかけている

ずっと塁上にいた浩臣は大きく息を吐いた後、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせている
チャンスで回ってくると信じていた竜也も“集中モード”を解除して、守備へ向かっている
何か嫌な流れだな、と思いつつ

7回表
先頭打者は大嶺
浩臣は珍しく制球が定まらずストレートの四球
チッと舌打ちした様子の浩臣に対し、竜也は声をかけるか悩んだがやめておいた
還ってイラつかせるだけだろうなと配慮してのそれだったが、それも裏目に出てしまう

続く柿澤のバントを処理した浩臣はベースカバーに入った京介への送球を焦り、その打球を処理損ねて記録はエラー
無死1、2塁のピンチを招いた浩臣は地面を蹴って悔しそうな様子

「伊藤くん、Tranquilo.だぞー」
竜也がそう声をかけるが反応はなく、マウンドで一人イラついた様子に見受けられる
中村が初球でバントをしっかり決め、1死2、3塁の大ピンチ
渡島が伝令那間を走らせ満塁策は取らなくていいぞという指示を送ると同時、恒星ベンチも動きを見せる

『バッター綾部くんに代わりまして、山口くん』
強打で鳴らす山口が代打で起用された。那間がベンチに戻り、内野手もそれぞれ守備位置に戻る中竜也はまた声をかけようとすると、浩臣はそれに気づいてニヤリと笑うとグローブで合図を送って来る

“大丈夫だ”
そう言ってるのがわかり、竜也も右拳を上げるアレで返答

初球だった
山口は浩臣の高めストレートを強振すると、カキーンと会心の打球音
浩臣も竜也も、そしてベンチで見守る祐里、そしてスタンド側も誰もがやられたと感じたそれ

しかし打球はショート京介の真正面だった
しっかりと捕球し、そのまま2塁ベースを自分で踏んで併殺成立
ランナーが一歩も戻れない瞬時の出来事だった

少し遅れてから湧き上がる西陵側の大歓声
ベンチに戻る京介にそれぞれよくやった、と声をかける西陵ナイン
一方浩臣はあぶねーと一人呟いていた

紙一重だったが、運はこっちにある。きっと行けると竜也は感じていた

“Your love forever 瞳をとじて 君を描くよ それだけでいい たとえ季節が 僕を残して 色を変えようとも”

山口が投球練習を行っているのに、竜也の4打席目用の打席曲が流れ始めている
例に寄って竜也はそれを熱唱してネクストで待機していると、プレイの声がかかる

その様子をベンチで見ていた祐里は、「何であれで打てるんだろうねあいつ」と呆れた様子
打席に入る前は集中しまくっている割に、ネクストだと歌を口ずさんでいる謎のルーティーン

汗をタオルで拭いつつ、浩臣もその祐里の呟きに頷いて同意を示している
「あんなふざけてるやつが打率6割だぞ。誰も文句も言えんわ」

しかしこの打席も結果は一緒だった
立ち上がりに元々難がある投手の山口ということもあるのだろうが、すべて高めに抜けたストレートでのホア
またも派手にブーイングが鳴り響き、「函館の恥!」との温かい声援も届く中竜也は一塁へゆっくり向かう

「いや、俺らも函館なんだけどな」
竜也は例によって御部から手袋を受け取りつつ苦笑している
それで御部は、俺は埼玉人だと素で返して来たのであいむそーりーと棒読みで謝罪

京介にも制球が定まらないまま、カウント3-1からの四球
続く岡田が初球を渋く叩くと、セカンドへのぼてぼてすぎるラッキーな内野安打
最大の勝ち越し機、無死満塁を迎える

無死満塁は得てして点が入らないんだよなーと3塁塁上で竜也が考えている
特に贔屓のハムなんて、絶対この場面点が入る絵が見えないからね

いつも以上に気合が満ち溢れている千原に対し、ようやく肩が温まって来たのか山口が初球に投じたフォークはえげつない落差
ド派手に空振りした千原、そしてよく止めた中村と対照的な絵図
ちょっとでも横に行ってれば突っ込めたのにと竜也は悔しそうな表情を浮かべている

2球目、山口が投じたストレートを千原が豪快に引っ張ると打球はまさかのサード正面
本塁転送後、一塁へ送球でまさかのホームゲッツー

最悪の展開で千原、そして三塁ランナーの竜也がそれぞれ天を仰いでいる
西陵側スタンドからも大きな溜息が漏れ、まだチャンスが残っているとは思えない空気になってしまっていた

その空気に呑まれたのか、次の樋口も当てただけのライトへの小飛球
まさに負の連鎖という感じで、あっけなく勝ち越しのチャンスが潰えてしまった

「竜、次の回だ。俺が出るから、お前が決めてくれ」
浩臣はそう告げてマウンドへ向かったので、竜也は小さく頷いてそれに続いた